あなたの武士道は間違っている?「武士道の精神史」 笠谷和比古

一所懸命と一生懸命

一所懸命とは馴染み深い言葉だけど

この言葉が今日では

「一生涯、命をかけて頑張る」という意味で使われている。

でも本来の言葉は一所懸命でその意味は

「一つの所のために命をかけて頑張る」という意味である。

武士道とはこの一所懸命に尽きる。

武士道とは何か

武士とはどういう存在だったのか。

日本の歴史において

平安時代の後半から院政時代に存在していたという。

彼らは「武士」「侍」「もののふ」「つわもの」など

いくつもの通り名があった。

文字通り、武士とは戦う人であり、

文官や文士とは相反する戦いを担う武の人を表す。

葉隠の誤解

武士道を語る上で葉隠の存在は無視できない。

そして武士道とはいわば「忠義」でもある。

しかしその忠義という言葉の解釈によって

武士道を誤った学びとして多くの人が認識している。

それについては

葉隠が一番強調して綴られている。

そもそも忠義という言葉の意味も

「主君の命にはいかなる時も従うこと」

という誤解をしている人が多いが、

武士道における本当の忠義の意味は

「誠心誠意、主君に尽くし、時に間違っていると思うことがあれば

何度でも考えを改めるよう訴えかけることが大切」

という風に説いているのである。

これを当時の言葉では諫言といい、

何もかも命令に従うのではなく

間違っていると思うことには

身分など関係なく、ちゃんと間違っている

と言える関係だと説いている。

武士道の美学

武士道といえば死に様の美しさである。

これも間違った解釈をしている人が多い。

有名な一説で、

「武士道といふは死ぬこと見つけたり」

という言葉がある。

これを主君のために命をいかなる時も差し出せること

という風に解釈されがちだが実際は違う。

この言葉の本当の意味は、

毎日、朝も夜も「死」を念じて

いつも自分が死んだ体と思い徹することができれば

武士道の自由を得ることができる。

生に対する未練、執着から解き放たれた状態で

その自由を手にすることができるならば

主君の顔色を伺うことなく、

周りからに惑わされることもなく、

一生涯にわたって失態を無くすことができる。

すなわち、武士道をまっとうできるということ。

簡単にいうと、

明日死んでもいいと思えるくらい

一所懸命に生きることができれば、

悔いの残らない人生が歩める。

それができれば、

誰からも惑わされることがないので

本当に生きたい人生が生きれるということだ。

まとめ

武士道とう生き様は

死をもって美学を説いているのではなく、

生をもって美学を説いている。

武士道を学ぶことで自由になれるということ。

昨今、言いたいことも言えないような時代で

ことなかれ主義というか、

それが組織や仲間意識と誤解している人が大勢いる。

本当に大切ならば、

どんな相手に対しても言いたいことは言って

その人のために一所懸命生きる。

そうすれば死を目前にして後悔することはない。

この本はそう教えてくれる一冊だと思う。

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